今年、日本憲政史上初めて、女性の総理大臣が誕生しました。しかし、かつて女性は選挙に参加することさえできませんでした。女性の参政権が認められたのは1945年12月。今から80年前のことです。女性参政権獲得に尽くした一人が、女性政治家のパイオニア市川房枝です。実は市川さんは、現在の愛知県一宮市の出身。女性参政権実現80年を記念して、一宮市で企画展が開かれます。改めてその業績について一宮市博物館の宮川 充史(みやがわ たかし)さんにお話をうかがいました。
25歳で人生の折り返し!大いなる決断での上京
市川房枝さんは1893年(明治26年)愛知県生まれ。自作農だった稼業を手伝いながら尋常高等小学校から愛知県立女子師範学校(現在の愛知教育大)へ。卒業後は小学校の先生を2年間務めます。当時は、教員でも女性だというだけで給料が安かったり、雑用を押し付けられたり。また「良妻賢母」重視の教育にも疑問を持つようになったといいます。その後、名古屋新聞(現在の中日新聞)の記者を1年やったのちに、25歳で上京します。東京では、平塚 らいてう(ひらつか らいちょう)と一緒に「新婦人協会」を設立。女性の権利拡張のための運動をし、さまざまな苦労の後に、今から80年前、ついに女性にも選挙権が与えられたというその功績はよく知られています。歴史の教科書的には上京後の活動が有名ですが、25歳での上京は「人生の折り返しだ」とかなりの決断だったようです。当時は、人生50年という意識でしたからね。
悲願の女性参政権実現は戦後ようやく
らいてうさんと市川さん、最初は一緒に活動していたんですが、途中から考え方の違いから距離をとるようになります。市川さんは農家のご出身でエネルギッシュで現実主義、一方らいてうさんは武家の出身、行動するよりまず頭で考えてしまうタイプ。エネルギッシュな市川さんになかなかついていけなくなったみたいです。二人でつくった「新婦人協会」から市川さんは脱退し、1921年(大正10年)に読売新聞の特派員として渡米します。ベビーシッターやハウスワーカーをしながら各地の婦人運動や労働運動を観てまわり、31歳で帰国。女性参政権獲得の運動を本格的にスタートさせます。その後戦争がはじまり、さまざまな弾圧と苦労がありますが、終戦からわずか10日後に「戦後対策婦人委員会」を組織し、粘り強く女性参政権を国に要求しつづけました。悲願だった女性参政権が認められたのは、1945年12月17日。翌年にはこの新しい選挙法のもとで衆議院議員選挙が行われ、39人の女性議員が誕生しました。
市川さんの歩みは、日本の近代史そのもの
冬期特別展のリーフレット(特別展は終了しています)
市川房枝さんの大きな業績は、女性参政権の実現のほかにあと2つあります。ひとつは国際条約である女性差別撤廃条約に、日本政府の署名を実現させたこと。日本政府はなかなか重い腰をあげなかったのですが、市川さんが政治家を説得して回り、署名にこぎつけました。このおかげで「男女雇用機会均等法」が制定(1985年)されたんです。そして、かつて男性は「技術科」女性は「家庭科」と別々だった授業を、「家庭科」として男女一緒に受けるべきだという運動を行ったのも、実は市川さんなんですよ。市川さんの歩みは、まさに「日本の近代史」そのものなんです。女性参政権実現80年を記念して、一宮市尾西歴史民俗資料館で12月13日から2月15日まで冬季特別展として「市川房枝~権利の上に眠るな~」を開催します(※取材当時。特別展は終了しています)。今、我々は当たり前のように選挙に行きますが、それは「勝ちとったもの」であり、「権利は行使し続けなければなくなってしまう」「当たり前じゃないんだ」と。市川さんの半生を紹介することで、改めてさまざまな角度から「今の社会」を考えてもらうきっかけになればと思っています。
一宮市博物館学芸員 宮川 充史さん
この取り組みのSDGsを知ろう
「すぐわかるSDGs」では、SDGsの17の目標をイラスト付きで分かりやすく解説しています。気になるゴールを押すと、目標の解説を1分程度で読むことができます。この記事に登場したSDGsを見てみましょう。
Brother presents Music Earth
今、世界では温暖化、貧困、格差社会…様々な地球規模の課題があります。
これからの「地球」の為に、今、私たちにできる事は一体何なのでしょうか?
毎週月曜 19:30 -19:55
FM AICHIにて放送中

